コラム

2022.01.19

写真撮影、なぜ笑うの?

岩井 茂樹
大阪大学日本語日本文化教育センター教授
本拠点兼任教員・運営委員

はい・チーズ!!!
「はい・チーズ!!!」。この魔法のような言葉をかけられたら、皆さんはどんな顔をしますか?写真撮影の時によくかけられる馴染みのある言葉ですよね。私なら思わずニッコリとした笑顔をしてしまいます。この掛け声が日本で広まったのは、1960年代のことで、チーズ会社のCMがきっかけだと一般的には言われています。残念ながら、私はそのCMを見たことがないので、その真偽のほどはよくわかりません。

ただ、疑問に思うことがありました。なぜそもそも笑顔で写真を撮る必要があるのだろうか。そういう疑問が幼稚園の頃からずっと私の中にありました。私は笑顔が苦手なのと、ひねくれ者なのでみんなと同じポーズをしたくない、という理由でいつも変顔をしては、取り直し、あるいは先生にこっぴどく叱られるという経験をしたものです。

昔の写真は笑っていない!!!
笑顔写真に抵抗のあった私だったのですが、人間怖いもので、習慣化するとそれがやがて当たり前のことになってしまい、小さい頃持っていた疑問もいつの間にか疑問さえ思わなくなっていました。

ところが、ある研究会で古写真を大量に見る機会にめぐり合いました。この研究会は、古写真を用いて、そこに写っている古い習慣や当時の状況を分析していこうというものでした。幕末から昭和にかけての写真が大量にあったのです。そこには当然、多くの人々が写っていました。

その時です。私は一つのことに気づきました。「古写真に写っている人は大抵笑っていない!!!」ということです。

そこで、私はこうしたことに気づいた人が他にいないか、あるいはこれについて研究した人がいないか、を一所懸命探しました。すると、このことに気づいた人がいたり、一応仮説を立てていたりする方はいたのですが、本格的な研究をした人はまだいませんでした。

それでは、僕が自分で調べてみようとなったわけです。
調べてみると、日本は特殊な事情で、かつ急激な勢いで、笑顔で写真を撮るという習慣が広まったことがわかりました。これは大きな発見でした。以下、その事情というのを、少し詳しく説明していきましょう。

二つの大きな疑問発生!!!
ここで二つの疑問が浮かびますね。一つは、いつ頃から日本で笑う習慣ができたのか。これは時期の問題です。もう一つは、どうして笑う習慣が急激に広まったのか。こちらは理由に関する問題です。少なくともこの二つを明らかにしないと、日本において笑顔で写真を撮るのが習慣化した明確な原因を述べることはできません。

そこで、まずは時期から特定することにしました。写真で笑う習慣がいつ頃から始まったのか。これを先にはっきりさせようと考えたわけです。

古写真と言っても、先ほど述べたように、日本には幕末以降、大量の古写真が存在します。いつ頃から笑うようになったのか、これはなかなか古写真だけを見るだけでは解決できない問題でした。というのも、古写真というのは、撮影された場所を特定することや、時期を明確にすることは難しいからです。特に年代を特定するのはもっとも難しい作業と言ってもいいでしょう。ですから、古写真自体を並べてみても何もわからないことに、まずは気づきました。

さあ、困りましたね。いつ頃、笑顔の写真が広まったのでしょう。どうやって調べましょうか。
ここで、幸いなことに一つの重要なデータを見つけることができました。それは小林弘忠という方が『新聞報道と顔写真―写真のウソとマコト』(中公新書、1998年)という本の中で取られたデータでした。小林さんは『東京朝日新聞』に写っている顔写真を用いて、その笑顔率というものをパーセンテージ化されていました。

私はそれをグラフにしてみました。すると、驚いたことに、大正元年にはほぼ0%に近かった笑顔率が、大正元年から大正八年くらいまでの間のところで、二次曲線、もっと正確にいうと放物線状に増加しているではありませんか。そして大正十年ごろには新聞の笑顔率が70%を超えるような状態になって高止まりしていることが、はっきりとわかったのです。

これが何を意味しているかというと、日本では早ければ明治の終わりから大正の初めに、何らかの笑顔に関するブームが起こった可能性がある、ということです。逆にいえば、何らかのブームがなければ、このような放物線を描くことはない、ということになります。単純に何となく笑顔が習慣化していったのであれば、一次曲線になって直線的に伸びていくグラフになるはずだからです。

ということは、ここに明らかに何らかの力が加わったことが明らかになりました。と同時に、一つ目の問題が大体解決しました。つまり、日本では、大正初期、あるいは大正時代に笑顔の写真が習慣化していったのです。

ニコニコブーム???
でも、まだもう一つわからないことが残っていますね。それは何が起こったのか、という問題です。ここで大事なのは、何らかのキーワードを探し当てることになります。特にブームがあったのであれば、必ずそのきっかけとなった言葉も流行することが多いからです。これを色々と探ってみました。最初は「微笑」だとか「笑顔」だとか、そういったものを探りましたが、どうも違うようでした。かなり困っていたある時、国立国会図書館デジタルコレクションに『ニコニコ写真帖 第一輯』というものが、大正元年に発刊されていることを見つけました。中を見てみると、何と、当時有名だった人物(たとえば渋沢栄一や大倉喜八郎、与謝野晶子など)の、それも当時珍しかったであろう、笑顔写真がたくさん掲載されていたのです。これには驚きました。

そこで、もしかすると「ニコニコ」というのが重要なキーワードではないか、と考えて調べてみました。すると、明治44年2月11日に、東京で「ニコニコ倶楽部」という組織が作られており、同時に『ニコニコ』という雑誌が発刊されたことがわかったのです。

この「ニコニコ倶楽部」ないし雑誌『ニコニコ』は、当時もっとも大きい貯金銀行であった不動貯金銀行の頭取・牧野元次郎という人が中心になって作ったもので、当時暗かった日本の世相を笑顔で明るくしようという意図のもとに作られたものでした。

[写真左]雑誌『ニコニコ』第47号(ニコニコ倶楽部、大正二年十二月号)筆者所蔵
[写真右]牧野元次郎肖像写真(牧野元次郎『ニコニコ全集』弘文館書店、昭和2年より転載)

日本がニコニコの国になれば、商売が繁盛し、健康も増進され、家庭の平和も実現すると、牧野は考え、「ニコニコ主義」というものを提唱し、鼓吹したのです。結果的に雑誌『ニコニコ』は発行部数をのばし、「ニコニコ」という言葉も一種の流行語になりました。

こうして、日本では「ニコニコ」という言葉が共通の合言葉になり、笑顔で写真を撮る習慣が流行し、定着していったのです。

以上のことからわかるように、日本は特殊な事情で笑顔の写真が広まりました。
ですが、他の国ではどうでしょう?徐々に習慣化されていった国もあれば、日本のように何らかのブームがあった国もあったでしょう。他の国や地域ではどうだったのか。
それが今、私が知りたいことの一つです。