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2022.09.16

日本の絵本の鬼はなぜ優しいのか?

松村薫子
大阪大学日本語日本文化教育センター准教授 
本拠点兼任教員

鬼は恐ろしくて悪い存在
日本の書店や図書館では、鬼や河童、天狗、お化けをテーマにした子ども絵本が数多く並んでいますが、これは他の国では見られない日本の特徴的な光景です。日本の妖怪は今や世界で「YOKAI」という固有名詞にもなり、様々な国で妖怪シンポジウムや妖怪展なども開催され、世界の人々の関心を集める面白い日本文化の一つとなっています。

妖怪の代表といえば「鬼」ですが、日本人は、幼少期から、民間伝承や祭り、絵本、アニメなどを通して鬼のイメージが自然に根付いています。中でも幼少期に目にする『桃太郎』などの絵本には、悪い鬼、怖くて恐ろしい鬼が描かれているので、「鬼は怖くて恐ろしいもの」「人を喰う悪い者」というイメージを多くの日本人が持っています。2012年から大人気の「鬼から電話」という鬼から電話がかかってきて子供が親の言うことをすぐ聞くようになる育児系スマホアプリが絶大な効果を発揮しているのもそのためです。

このように鬼は、現代の子供達にとっても「悪くて恐ろしい存在」なのですが、一方で、書店の絵本の中には「優しくて善い心を持つ」鬼の絵本も多く見られます。「悪くて恐ろしい」はずの鬼が「善い心を持つ」という真逆の存在として描かれることは、他の国では見られない現象です。しかし、日本の絵本には「悪くて恐ろしい鬼」だけでなく「優しくて善い心を持つ鬼」も描かれています。これは一体なぜなのでしょうか。

善い心を持つ鬼への変化
日本の絵本の鬼がいつから優しく善い心を持つようになったのかを考えるために、私はあらゆる鬼の絵本を集めて一冊ずつ見続けました。鬼の絵本の初出は不明ですが、絵巻や「奈良絵本」に描かれる鬼の物語を経たのち、江戸時代中期以降の「草双紙」から鬼の絵本が人々に読まれるようになったのではないかと思います。草双紙では『桃太郎』や『らいこう山入』などをはじめとして悪くて恐ろしい鬼が描かれています。

そして、近代に入ると、『えらい二少年』(1914)のように、鬼が戦時中の「敵」の象徴として描かれることもありました。

その後、昭和時代に入ると、全ページカラーの絵本が次々に販売され、赤羽末吉は『鬼のうで』(1976)など多くの鬼の絵本を描き、「鬼の赤羽」と称されました。赤羽は、「鬼」を描く際には伝統的に伝えられている「鬼の怖さ」というものを画面に表現しないと意味がないと考え、意識的に「恐ろしくて怖い鬼」を描いています。

これらの絵本を一冊ずつ見ていたとき、私はある絵本が「善い心」を持つ鬼の絵本の大きな転換点をつくっていることに気がつきました。それは、浜田廣介『泣いた赤おに』(1933・初出タイトルは『鬼の涙』)です。

『泣いた赤おに』は、人間と仲良くしたい赤鬼のために友人の青鬼が人間を襲う芝居をし、赤鬼は人間と仲良くなれたが、青鬼は内実を人間に知られては元も子もないので遠いところに行くという手紙を残して去り、赤鬼が手紙を読んで泣いた、という話です。

この『泣いた赤鬼』は、それまで定番であった「悪い鬼」を真逆の「善い心を持つ鬼」として描いています。作者の浜田廣介は、なぜ「善い心を持つ鬼」を描いたのでしょうか。

浜田の自伝や周囲の人々の言説を調べたところ、浜田は、高野山で運慶作の賢そうな童子像を見て「こんな鬼を書いてみたい」と思い、鬼に対する固定観念を変えた物語を作ろうと考えたようです。浜田は、鬼はいつも不利な立場で損な役目を負ってきたが、鬼に「断ち切りがたい絆(周囲の者との絆)」を残すことで、鬼に対する同情心が読者におこり、鬼を我々の側に近づけさせることができるのではないかと考えてこの作品を書いたといいます。

また、浜田は、大正6年(1917)「大阪朝日新聞」の新作おとぎ話懸賞で『黄金の稲束』が入選した際、童話の大家である巌谷小波から「今後は善を語る作品がお伽話の新しい歩み方になるのではないか」という選評をもらい、「人間の好意、善意をこれから作る童話の『こころ』にしてゆこう」と心に決めて作品を作り続けたそうです。

ゆえに『泣いた赤鬼』は、鬼を悪い存在として退治することで善の心を人間に気付かせるという従来の鬼の描き方を離れ、善の心を鬼に託すことで善の心を人間に気付かせる作品となっています。

この作品で浜田が「悪い鬼」を「善い心を持つ鬼」に変えたことは、後の日本の鬼の絵本に対する考え方を大きく転換させ、大きな影響を与えました。その後、他の作者たちも善い心を持つ鬼を絵本で盛んに描くようになり、心の教育をする道徳の教科書にも『泣いた赤鬼』が掲載されるようになりました。

日本文化の面白さを世界へ発信するために
このような鬼の絵本を含む日本の妖怪文化は、世界の人々から関心が高い日本文化の一つです。私は、様々な国での研究発表や留学生たちに授業で教える中で「妖怪文化は日本人の考え方が見えるのでとても面白い」という感想を多く頂き、「妖怪文化は世界に日本文化や日本人の考え方を伝える際に非常に有効な研究となりうるのではないか」と次第に考えるようになりました。

それを実現する方法として、私が現在計画しているのは、世界で日本語を学習している人のための日本文化教育教材を作ることです。世界の国々では、日本語・日本文化学科を設置している大学は多いのですが、日本語教材はあるものの「日本文化教材」が無く困っているという声をしばしば聞きます。それを聞いて考えたのは、ウェブからダウンロードして使える日本文化教育教材を作って世界中の大学で使って頂ければ、日本文化の面白さを世界の人々に広く伝えることができるのではないか、ということでした。

そこで、私は、近年、日本・韓国・中国の研究者たちと共に日韓中の妖怪絵本を比較研究して日本人の異世界観の特徴を研究し、その研究成果を教育教材にするという共同研究を進めています。「日本文化って面白い」と思ってもらえる教材を目指して頑張ります。