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2022.07.29

本拠点兼任教員 渡邊英理准教授(人文学研究科)の著書『中上健次論』が刊行されました。

著者から読者へ

渡邊 英理
 

紀州熊野の作家・中上健次(1946〜1992)は、戦後生まれではじめて芥川賞を受賞した作家です。近年では、芥川賞作家の宇佐見りん氏が、「推し作家」として中上の名をあげ、その影響下にある作家として自身を語ったことで再び注目を集めつつあります。くしくも昨年2021年は中上生後75年、今年2022年は没後30年の記念の年にあたります。

その節目の年に刊行された本書は、中上健次の路地をめぐって書かれた小説群を「(再)開発文学」として検討し、その「思想文学」としての内実を紐解くものです。『熊野集』、『地の果て 至上の時』、『千年の愉楽』を軸に、それに関連する小説、批評やエッセイなどを主に論じました。

「(再)開発文学」という術語は、著者であるわたしの造語ですが、実体として捉えられる特定のジャンルではなく新規の仮説的な概念です。一義的には、開発や再開発という文脈において生産されてきた文学、あるいは開発や再開発を表象する文学、小説や詩、戯曲、散文等の文学的な言説を指しています。ただし、それは、方法論的な関心から設けた分析のための視座、言わば方法としての「(再)開発文学」です。

「戦後」の日本列島は、大規模開発の時代だと言えます。敗戦によって植民地を失い、帝国の版図から縮減された新たな国土のうえに、敗戦後の復興、高度経済成長期の国土開発や地域開発、都市部や郊外の再開発など重層的な書き込みがなされていきます。そして、それは質の変容を伴いながら今日まで続いています。空間、土地や場所は小説にとって、重要な構成要素となりますが、では、その空間を変容させる(再)開発という出来事や、それに凝縮されている生産主義的な価値観に、「戦後」の日本語文学は、いかなる対峙をなしえたのでしょうか。これまで、(再)開発という動的なプロセスは表象されにくいことも手伝い、(再)開発の表象や文脈は、「戦後」文学研究において十分に問題化されてきた訳ではありませんでした。本書では、従来、あまり着目されてこなかったこの「戦後」の(再)開発の文脈と表象に着目し、(再)開発という出来事やそれを支える生産主義的な価値観に「戦後」文学が対峙する、その具体的な有り様を、中上文学を対象に捉えてみることを試みました。

中上文学は、しばしば、路地の文学とも称されます。路地は、中上の生地である和歌山県新宮市の被差別部落をモデルに創造/想像された空間です。そして、その空間は、被差別であり、そうであるがゆえに開発を被る、被開発の時空だと言えます。中上文学の路地は、一義的には、(再)開発を表象する舞台としての空間として読まれます。と同時に、中上文学を「(再)開発文学」として読もうとする本書では、その路地を、(再)開発に抗する文学的・理論的ビジョン、思想的構えとして捉えました。(再)開発の「生産性」に抗する中上の路地のビジョンは、脱国家的・脱資本的な志向をもっていると言えるでしょう。

また、(再)開発という視座は、人間による人間の支配とともに、人間による人間ならざるものへの支配を問題化することを可能とします。本書は、中上文学における脱人間/人文主義の企てにも目を向け、人間による人間への支配・差別を内包する人間/人文主義を批判的に問い、人間中心主義的な自然環境との関わりとは異なる関係性をも希求する側面を持っていることを重要視しています。

本書は、博士学位論文の一部を含むものですが、結局ほぼ書下ろすことになりました。中国天津での二年半の滞在期間に執筆された博論を出発点に起筆し、アメリカのコロンビア大学やアイオワ大学などの国際会議やシンポジウムで発表した内容を含んでおり、間言語的な移動とトランスナショナルな環境のなかで紡がれたものでもあります。こうした越境性は、時代は異なりますが、中上の思想=文学が生みだされてきたのと類似の条件であり、また彼の思想=文学の核心にあるものとも考えます。規範や境界を撹乱する中上の思想=文学、その越境性が、本書を通じて広く知られ読まれることを願っています。

(大阪大学大学院人文学研究科准教授・グローバル日本学教育研究拠点兼任教員)
 

渡邊英理著『中上健次論』(インスクリプト、2022年7月)
https://inscript.co.jp/b1/86-8