コラム

2021.09.03

パネル・セッション「日本社会はどこまで「日本的」か:比較の視点・社会科学的考察」に参加して

鴋澤 歩(ばんざわ あゆむ)
大阪大学大学院経済学研究科教授
本拠点兼任教員・運営委員

2021年7月31日、大阪大学グローバル日本学研究拠点と「国際日本研究」コンソーシアムの共催による国際シンポジウム「『日本』をどう認識するか? 社会科学の視点から考える」第2部のパネル・セッション「日本社会はどこまで「日本的」か:比較の視点・社会科学的考察」に、司会として出席しました。
当日は大阪大学法学研究科から仁木恒夫教授、経済学研究科からピエール・イブ=ドンゼ教授、人間科学研究科から岡部美香教授、国際日本文化研究センターから楠綾子准教授が報告者として登壇し、ディスカッサントとして辛島理人・神戸大学国際文化学研究科准教授、洪宗郁・ソウル大学人文学研究員副教授がコメントのうえ、オンラインでの「フロア」からの質問もまじえて議論がすすめられました。豊富な内容に進行役が追い付けず、やや時間の超過も招いてしまいましたが、貴重な議論の機会となりました。この場を借り、改めて当日のご関係各位に御礼を申し上げます。

さて、社会科学の立場から「日本学研究」へのアプローチをはかろうとする試みの、この研究拠点における最初の取り組みといえるこのシンポジウム・セッションにあたって、司会者は以下のようなことを考えていました。
ひとつは、社会科学の各分野からの視角によって日本社会に考察を加える以上、それは内容的にも国際比較の視点を強く意識するものになるだろうということです。社会科学というものは、導入されて一世紀以上の長い年月を経てはいますが、そもそも分析道具、モノサシとしては古い言葉で言えば「舶来」のものであり、一面で今なおそうでありつづけています。たしかに二〇世紀中ほどの一時期、たとえば経済学研究でも「日本経済学」といったものが構想されたことはありますが、長続きするものではなかったようです。今日、学問の国際的展開とあいまって、社会科学はいっそうグローバル・スタンダードの普遍的なモノサシという性格を強めているともいえます。身体の現実の移動に大きな制限がかかる最近にあってもなお、グローバリゼーションはある意味で着実に進行しているからでもあります。

日本社会の「日本的」特徴を探るとき、これ―社会科学というモノサシを用いることは、そのモノサシから何かはみだす部分、それでは測りえない箇所を見出そうとする作業になるのかもしれません。
そしてもうひとつ私が思ったのは、日本社会の何ものかを社会科学というモノサシをあてて調べるとき、私たちは本質的に「比較」という作業をおこなっていることになるのかもしれないということでした。
モノサシ云々という私の雑想がいくらかでも妥当するならば、これはその言いかえにすぎませんが、日本にたいする「研究」がもとドイツ語「Forschung」の訳語である(らしい)以上、そこには比較の対象としての、日本とは異なる別の社会があるはずです。たとえば「市場」、あるいはたとえば「人権」といった、普遍的な概念や理念や価値観を用いる高度に抽象的・理論的なアプローチにせよ、その背後になにか受肉(?)された存在が想定されているはずでしょう。

パネルセッションにて(左端)

ここから私は、「国際日本研究」のありかたについても考えざるを得ませんでした。
つまり、日本研究の重要な一部として、自分たちの外国研究もあるべきなのではないか、と。
唐突に私事で恐縮ですが、私の専攻は「ドイツ経済史・経営史研究」です。より詳しい戸籍は大きい括りから順に、経済学―経済史―西洋経済史―ドイツ経済史―近現代ドイツ鉄道史―とくにプロイセン邦有鉄道、バイエルン邦有鉄道など ということになりそうです。グローバル・ヒストリー台頭の現在、こうした戸籍の書き方自体もアップデートされるべきですが、それにしても外国のことをやっているには違いない。
それなのに「日本研究」とは? と訝しく思われても仕方がないかもしれないのですが、今日の国際的な日本研究という立場からは、ドイツ鉄道史研究者がこの場に迷い込んでも許して貰えるのではないかと、妙な―まことに我田引水ともいえる―自信を持っています。
比較のモノサシの精度は自分たちで向上させなければならない、と思えるからです。
経済史学を例にとれば、日本における西洋経済史研究の最も代表的なスクールは、非常に自覚的に一九世紀~二〇世紀現在の西欧を「モデル」としてきました。それは西欧の歴史的経験をモノサシに日本の社会(社会経済)の問題を指摘し、近代化という目標に向かう指針を得ようとするものでした。こうした姿勢が基本的に、現在も日本社会において広い層に手堅い支持を受けるべき意義を持つことは言うまでもありません。
ただ、そこでも最初から、求めるべき輝かしい理念のよりどころである「モデル」と史的な現実との乖離をできる限りなくし、理念が理念である以上避け得ない微細な距離を狭めていかなければならない。このことは、最初から意識されてきました。今も当然、忘れられてはならないでしょう。広い意味でまず「実証的」に対象に向き合う作業は、「西洋〇〇」「外国〇〇」といった学問分野の中心にあります。それらが私たちの「日本」把握のために「モノサシ」を絶えず磨き上げ、精度を高めていることになるのだとすれば、日本研究の不可欠の一部として外国研究もまたある、と申せましょう。

今回のセッションでも、日本の日本的特徴を見出す学問的営為のなかで、比較対象の正確な把握、つまり「モノサシ」に対する配慮はすべての報告、コメントにおいて感じられました。
またセッションの不慣れなモデレーターとしては、個々の学問分野の「歩幅の違い」といったものにも気づかされました。「日本的とはなにか?」を追究する目的を同じくしながら、対象に向かう態度が当然異なり、調査・分析や議論から実際的提言ないし実践に至るまでの距離感に、個々の学問分野の差異が大きいことを感じました。
この「差異」は異分野間の共同研究においてもちろんプラスに働きうるもので、逆にいうとこれがあるからこそ、今回のように社会科学、人文科学のほぼ全ての分野を跨いだプロジェクトの意味があるのでしょう。
差異をなんらかの優劣ではなく多様性として積極的に受け止め、各分野の特性をそれこそ「比較」によって意識することは、今更ここでいうまでもなく当然のことながら、大きな目標に向かって出発したこのプロジェクトにおいて、私たちの初心として忘れてはならないとまず自戒するところです。